学院の沿革
沿革
1833年
ヨーロッパ全域がナポレオン戦争で荒れ果てていた時代、南ドイツのババリア王国にノートルダム教育修道女会が誕生しました。「社会をよくするには教育しかない。家庭の中心である女性の教育は特に大切。」これが創立者マザーテレジア・ゲルハルデインガーの信念でした。
1847年
戦乱のヨーロッパを逃れて新大陸アメリカに続々と移民が渡った時代、人々は生きるのに精一杯でした。貧しいドイツ移民の子どもの教育に招かれたマザーテレジアは、4人のシスターたちを連れてアメリカに渡りました。その後ノートルダム教育修道女会はカナダとアメリカでの教育のニーズに応えて広がり、様々な民族・宗教の青少年の教育に携わるようになりました。
1948年
日本が第二次世界大戦に敗れ国中が荒れ果てていた時代、京都のカトリック教会からアメリカのミズリー州セントルイス市にあるノートルダム教育修道女会管区本部に「京都にキリスト教の精神に基づく女子校を建ててもらえないか」との願いが寄せられました。 この願いに応えてシスターメリーユージニアレイカーと3人のシスターたちが日本に派遣されましたが、それは戦争中敵対して戦った日本人との和解を願ってのことでした。学校を建てるお金はアメリカで子どもから大人まで多くの人々が協力して集めました。またこのミッションのためには、アメリカでもヨーロッパでもたくさんの祈りが捧げられたのです。(ノートルダム教育修道女会日本地区)
1951年12月27日
学校法人ノートルダム女学院が設立されました。
1952年4月
京都でも多くの人々の協力があり、四季折々の自然が美しい鹿ケ谷の地に、ノートルダム女学院中学校が開校されました。最初の新入生は100名でした。
1953年4月
同じキャンパスで高等学校が開校されました。最初の新入生は50名でした。
1954年4月
野々神町に共学のノートルダム学院小学校が開校されました。最初の新入生160名は、校舎が完成されるまで1年間、女学院のお姉さんたちと一緒に鹿ケ谷で勉強しました。
1961年4月
女学院開校以来の保護者の熱望がついに実を結び、小学校に隣接してノートルダム女子大学が開学されました。文学部のもとに当時では珍しい学際的な「英語英文学科」が開設されました。女学院や小学校の生徒たちもこのために熱心にバザーなどでお金を集めましたし、在校生や卒業生の保護者の方々をはじめ財界、官界、教育界の方々も思い入れをもって応援してくださいました。
1963年4月
女子大学にもう一つの学際的な学科「生活文化学科」が誕生しました。
1999年4月
大学名が「京都ノートルダム女子大学」と改名されました。
2000年4月
文学部を人間文化学部と改名し、学科が2学科から「人間文化学科」、「生活福祉文化学科」、「生涯発達心理学科」、「英語英文学科」の4学科に改組されました。人間文化学科には留学生を受け入れることになりました。
2001年4月
英語英文学科に編入生を受入れるようになりました。
2002年4月
大学院人間文化研究科 応用英語専攻が開設され、男子も社会人も受け入れるようになりました。また、人間文化学科、生活福祉文化学科、生涯発達心理学科の3学科にも編入生受入れるようになりました。
2003年3月
大学附属心理臨床センターがオープンしました。
2003年4月
大学院に人間文化研究科生涯発達臨床心理学専攻(修士課程)が加わりました。
2004年4月
大学院人間文化研究科生活福祉文化専攻(修士課程)開設されました。
2005年4月
心理学部心理学科、 大学院人間文化研究科人間文化専攻(修士課程)、 大学院心理学研究科、 大学院心理学研究科発達・学校心理学専攻(博士前期課程)、 大学院心理学研究科臨床心理学専攻(博士前期課程)、 大学院心理学研究科心理学専攻(博士後期課程)が開設されました。
2007年4月
生活福祉文化学部生活福祉文化学科が開設されました。